教員からのメッセージ
運動器リハビリテーション、運動器理学療法、運動学、脚長差、フィードバック
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能登半島地震を受け思い返す13年前の大震災
2024/03/06このメッセージの掲載日は、3月11日に近いので、私自身の13年前の経験についてお話しいたします。地震が発生した際、私は仙台市泉区にある松田病院で勤務していました。揺れを感じたのは、事務室で作業中の時でした。急いで隣のリハビリテーション室に向かい、そこに入ると揺れが急速に大きくなりました。揺れは激しく、立つこともままならないほどでした。私は目の前の治療台にいた患者が落ちないように押さえることしかできませんでした。揺れはひどく、棚の転倒防止用の伸縮棒ですら外れ、物が散乱しましたが、スタッフが協力して患者を保護したおかげで、幸いにもケガをした患者はいませんでした。イスに座っていた高齢の女性も、懸命に押さえてくれたスタッフに助けられたと話していたことを今でも覚えています。
地震の直後、暖房は効かなくなり、停電も発生し、病院の機能が著しく低下しました。エレベーターが動かなければ、リハビリテーション室に患者を連れてくることもできず、電気を使用する治療機器も使用できませんでした。そのため、各病室を回り、可能な方法でリハビリを行いました。中には手術を受けていたのが地震発生時であったという患者もいました。リハビリ以外にも、朝昼晩の炊き出しや患者の食事をバケツリレー方式で運ぶなど、様々な役割を分担しました。
一つ後悔していることがあります。発生から数日間、自宅に戻らずに仕事を続けていた同僚がいました。当時、私は0歳と3歳の子供を持つ親として、家庭の復旧を優先させてもらいましたが、同僚たちの献身に頼りすぎていたかもしれません。家族を隣県の実家に送り、私が仕事に戻れたのは翌火曜日でした。その時点で同僚たちにも疲れが見え始めていました。彼らも被災者のひとりであり、心配や不安があったことでしょう。もっと早く手を差し伸べ、協力し合い、他の人にも頼っても良いと感じる環境を作るべきであったと今でも思い返します。 -
家族のぬくもり
2023/02/01米国コロラド大学での約4ヶ月の研修期間中のほぼ毎週末、家族行事に私を招待してくれる女性がいました。その女性はコロラド大学教授のスティーブンス・ラプスリー先生で、彼女の子ども2人が参加するキッズサッカーの試合、ご近所さんとのバーベキュー、日曜礼拝、ハロウィン、クリスマスツリーの飾り付けなど、実に様々な家族行事に私を招いてくれました。
中でも印象に残っているのは、彼女の家の庭で野球をして遊んだ日のこと。彼女の子どもはもちろん、おそらく70歳近いであろう彼女の父母も全力で野球をして遊ぶのです。その後は、食卓に感謝への祈りを捧げて、一家団欒で手製のハンバーガーを食べて。遊び方や食べる物は違っても、そこには日米関係なく同じように家族愛があり、家族を大切にする文化があることを実感させられました。
有名な観光地や大きなイベントだけでなく、日常的な行事や習慣ごとへの参加を通して自身のもともとの文化や慣習をさらに理解していく―。異文化交流の新たな側面に気付かされた瞬間でした。外国人を日本に招待する機会があった際には、観光地巡りだけでなく、何気ない日常的な行事や慣習を一緒に過ごすことも、素敵なおもてなしになるかもしれません。 -
名字の由来と理学療法士を目指したきっかけ
2022/04/20「中野渡(なかのわたり)」という名字を福島で見かけることは少ないと思います。私が生まれた青森県の十和田市では珍しくはなく、高校の同学年に何人もいるほどでした。名字の由来は定かではありませんが、観光地として有名な奥入瀬渓流からつながる奥入瀬川中流部の地域が祖父の出身であるため、川で“渡す”ことに何か関係があるのかもしれません。
私が理学療法士を目指したきっかけは、高校時代に通っていた接骨院の先生から、「これからの時代は理学療法士だ!」と言われ、初めて理学療法士を知ったことです。また、側弯症のある家族がいたことや、私自身が部活などを通して怪我をすることが多かったため、人間の身体や運動に興味を持つようになりました。そんな時に、理学療法士という仕事を知り、もっと人間の身体や運動を詳しく勉強し、リハビリやトレーニングの方法をより発展させたいと思うようになり、理学療法士になることを志しました。理学療法士を目指すと決めた高校生の頃、初めは両親に反対されましたが、なぜかその決意は揺るがず、最終的には両親にも応援してもらい、実現することができて良かったと思っています。
※写真は奥入瀬渓流・双白髪の滝(本人撮影)