教員からのメッセージ
思想史
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「好き嫌い」からの連想
2023/08/30私は、食べ物の好き嫌いがほとんどありません。子どもの頃の躾もありますが、大人になってから、何でも食べておかないと人生を損してしまうと考えるようになったことが大きいです。
学生の頃、エジプトの某航空会社の偉い人に日本語を教えるという変わったアルバイトをしていました。日本語のレッスンが終わると、必ずエジプトの家庭?料理が振舞われます。…細かく刻んだモロヘイヤを冷凍して固め、それをたっぷりの油で揚げたもの、歯がかけてしまうのではと思うほど固くて真っ黒の米料理、付け合わせに出される玉ねぎの四つ切(しかも生!)など、はじめのうちは目を白黒させながら口に運んだものです。ですが、不思議なことに、4,5回もすると慣れて来て、やがてそれらの食べ物の魅力を自分なりに理解できるようになりました。
初見のものや苦手なものを、私たちはつい避けてしまいがちですが、そこは度胸で乗り越えて、その意外な魅力を知ることができれば、こんなに楽しいことはありません。そうして、色々なものの魅力を知っていればいるほど、人生は豊かになると言えましょう。
食べ物に限らず、勉強も運動も、そして音楽や絵画、映画なども、みな同じではないでしょうか。未知のものを知り、知識や感性の幅を広げるために、選り好みせず、何に対しても挑戦してみることが大事です。
これから入学してくる受験生のみなさん。私の講義は、最初はとっつきにくく、難解に感じるかもしれません。しかし、ちょっと我慢して、じっくり聞いてみてください。そのうち、「物事の見方はこんなにもいろいろなのか、ふむふむ、なかなか面白いではないか」と思う日が来るはずです。 -
勉強は楽しいもの?
2022/06/29この文章を読んでくださっているあなたは、高校生あるいは受験生ですか。もしそうなら、お尋ねしたいことがあります。「毎日の勉強は楽しいですか。」「受験勉強は楽しいですか。」
ところで、正直に白状しますが、私自身は勉強とは苦しいものだと思っています。大学教員にとっての「勉強」とは、研究対象について調べ、関連資料を読み、考え、まとめ…という作業の繰り返しですが、研究対象を絞り込むことも生半可なことではありませんし、大量の文献を集め、それを片端から読むのも実に骨が折れます。自分なりに考えをまとめて文章の形にするのはもっと大変です。そんなわけで、勉強とは苦しいものだというのが偽らざる実感で、時折、「勉強が楽しい」などと言う人に出会うと、思わずいぶかしんでしまうのです。とは言え、挫けずに「勉強」を続けていると、それまでモヤモヤしていてよくわからなかったことが明確にわかるようになる時が来て、そのような時には確かに喜びを感じます。ただ、それも一時のこと。新たな研究対象が出て来て、再び、苦しみが始まります。
演劇には必ず長い前段があり、それなくしては、クライマックス・シーンでの感動もないでしょう。いま、苦しい思いをしながら勉強を続けている皆さん。いまは長い前段だと思って、淡々と勉強に励んでください。報われたと実感できる日は必ず来ますから。ただ、大学に入れば、それまでとは違う勉強が始まって、それはそれで苦しい思いをすることになるでしょうけれど。 -
Something about everything, Everything about something
2021/06/30教養を深める、分野を超えて幅広い知識を得る、といった言葉をしばしば耳にします。それが単なる物知りになること以上の何かを意味しているのなら、一体どのようなことを言おうとしているのでしょうか。上の言葉は、ある著名な人物が残したものですが(類似の言葉は他の著名人も述べていると記憶しています)、後段に、自分の専門に関してはあらゆることを知らなければならない、と述べられています。前段の広く知るということが、後段の自分の専門分野に関する十全な把握と切り離せないのなら、教養の意義とは、全体を見渡す広い視座に立って、自分自身の知的営為を位置づけるところにある、と言えましょう。即ちそれは、自分を客観視するということに他なりません。
皆さんが保健科学部に入学したら、専門となる学問分野を深く学ぶことは勿論なのですが、前段にあるように、世の中のあらゆる事柄について、それなりに知るようも努めて欲しいと思います。 -
大学という場について
2021/01/13ときおり、大学という場を誤解している人に遭遇します。ただ教科書の内容を暗記して学期末試験に合格し、卒業するものだと考えている人に、です。そんな苦しくつまらないことのために大学があるのでしょうか。もちろん基本的なことは理解しなければなりませんし、数々の試験と実習にもパスしなければなりませんが、「深めてみたい」「学んでみたい」ことを自分でドシドシ勉強してゆけるところにこそ、大学らしさがあるのです。またそうした意思をもって講義にのぞまなければ、教師のことばが生き生きとしたものとして響いてくることもありません。あるいは「こんな活動をしてみよう」と思うなら、たったひとりでも始められるのです。どうか自分の「これをやりたい」という意思を大切に、思う存分学び、そして活動してください。ちなみに、私自身は、ある時期から大学の図書館にこもり、ひたすら本を読むようになりました。今でも特に古書の匂いなどを嗅ぐと、当時のことを思い出します。
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研究を通じて、自分を/現在を客観視する
2020/10/07今回は自分の研究について紹介します。
19世紀後半以降の日本の人々が、人間の体や心について、どのような見方をしていたのかを調べる、という研究をしています。専門的な言い方では、身体観の歴史研究とか他者認識の歴史研究などと呼ばれます。歴史研究の醍醐味は、いまからは理解できないような考え方や感じ方に触れられることです。同じ人間の、同じ体であっても、それへの考え方、感じ方は時代によって異なります。それはとりもなおさず、今の私たちの考え方や感じ方が、一時的なものに過ぎず、いずれ変化するものだということを教えてくれているのではないでしょうか。 -
他人のメガネをかけて世を眺めることも
2020/08/12知人に、障害をもった人がいます。食事の折はサポートが必要です。私も何度かサポートしたことがありますが、あるとき、たくさん食べていたので、思わず「よく食べるねえ」と言ってしまいました。すると、その人は急に食べるのを止めたのです。後で聞くと、よく食べるねえ→食べさせるサポートが大変→食べるのを遠慮して、と言われた、と思ったそうです。何気ない一言が、生活のためサポートを受けている人にはトゲのように刺さってしまうことがあります。本学では、患者さんの身体についてはもちろん、その立場に身を置いたとき、世界がどのように見えるのか、言葉はどのように響くのか、学べるよう、講義を用意してみなさんをお待ちしています。