教員からのメッセージ
リハビリテーション、理学療法、高齢者の疫学、介護予防、固有受容性神経筋促通法
-
コロナ禍に想ったこと
2024/05/01新型コロナ禍から「5類」に移行し1年が経ちました。まだまだ感染対策は続きますが、5類へと移行してやっと日常生活に戻った気がします。
本学へ赴任する前は、自治体病院に勤務していたこともあり、感染対策には自信がありました。自分の気質的なものもありますが、マスクの徹底は勿論のこと、感染対策を徹底し日常生活を送ってきました。これまで、自分自身がアデノウイルスやインフルエンザウイルスに何度も罹患した経験もあり、自分の免疫力の弱さを痛感していたことも影響しています。経験の上で感じたことは、どんなに徹底していても、家族内での感染対策は限界があること、トイレや浴室、洗面所は共有スペースであり、その都度消毒が必要なことを痛感しました。我が家における最初の陽性者発生から10日ほど経過してから、自分自身の体調不良を感じ、コロナに感染しました。どうせなら一度に感染すればこんなに対応に追われることはなかったかなと反省なのか、詰めが甘いのか、やはり反省材料でした。感染前の1週間は多くの方と関わっていたこともあり、沢山の方にご迷惑をお掛けしました。
また、自宅待機での期間は、自分を見つめ直す良い機会でもありました。自宅待機期間中は家族もそれぞれ隔離になるため、会話もなく、食事もそれぞれ摂り、ストレスフルな生活になります。短期間かもしれませんが、あくまでも療養していれば治ること、健康なこと、家族の繋がりが本当に幸せなことを気づかせてくれました。
学生の方々は、大事な学生時代に友達との会話や様々な行事が制限され、マスクを装着した生活が当たり前のようになっています。大学生活や就職に際しても、飲み会のような懇親会は制限され、業務以外のコミュニケーションは制限されました。オンラインや携帯でのコミュニケーションなど、時代に合わせて柔軟に対応しているのかもしれませんが、やはり対面での会話はとても大事だなと改めて感じた次第です。医療職にとってもコミュニケーション能力は重要なスキルのひとつです。
今後、さらなるパンデミックが起こる可能性は高いとの指摘もありますが、「平和に」・・そしてなにより「健康に」日常生活を過ごせることを切に願っております。会話を大事に過ごしていきたいですね。
写真は、令和6年3月27日に本学福島駅前キャンパスにて開催された「アオウゼ主催高齢者のための生活機能測定会」での集合写真です。教員および学生とともに、コロナ禍が明けてこのような測定会も可能になりました。 -
「為せば成る」
2023/04/05「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」
これは、米沢藩主の上杉鷹山公の言葉になります。
「人が何かを成し遂げようという意志を持って行動すれば、何事も達成に向かう。ただ待っていて、何も行動を起こさなければ、良い結果には結びつかない。結果が得られないのは、人が成し遂げる意志を持って行動しないからだ。」という意味のようです。私は米沢市出身ではありませんが、山形県人としてこれまで何度も耳にした言葉のひとつです。私の祖先を辿れば米沢に通じているので、心に響いているのかもしれません。米沢の小中学校では、上杉鷹山公の歴史について学ぶ授業があると聞いております。
また、アメリカのジョン・F・ ケネディ大統領が、「日本の政治家で最も尊敬しているのは上杉鷹山公である」と答えたのは有名な話です。わが国の行政改革の先駆者として、米沢藩主の名が挙がるのは嬉しい限りです。ちなみに、鷹山公は藩財政改革で有名ですが、学問の奨励にも取り組んでおります。17代現当主である上杉邦憲氏はJAXA名誉教授とのこと。私自身、自分に甘いのは十分に理解しているので、これからもこの言葉を肝に銘じて、何事も諦めないで積極的に行動していきたいです。
学生の皆様も、何事にも前向きに積極的に取り組めば「為せば成る」
写真は上杉神社にて撮影(2023年3月3日) -
会津藩主「ほしなまさゆき」と理学療法士「ほしまさゆき」
2022/02/02会津藩主である保科正之(ほしなまさゆき)氏をご存じでしょうか。
私が福島に来て半年になりますが、ほとんど歴史に興味がない私が唯一興味を持ったのは、私が星 真行(ほしまさゆき)だったからです。今更自己紹介もないのですが、漢字は全く違うものの読み方が一字違いであったため、この人物に興味を持ったのが「縁」でした。たまたま観光で訪れた日新館や土津神社(猪苗代町)で会津藩主を知り、名前が似ていることが興味の始まりでした。調べていくと素晴らしい人物であることに嬉しく感じた次第です。名前が似ているだけですが・・。
この藩主は、江戸幕府三代目徳川家光氏の異母弟であり、会津藩を「天下の名藩」としての基礎をつくりました。万民の幸福を生涯かけて考え続けた見事な生涯でした。万民にはとても慈悲深く、尊敬に値する人物であったようです。しかし、かなり苦労した人生を送っているのも事実です。「己小さく、人は大きく」というように、理学療法士もこのような人に対する思いやりや慈悲深い気持ちが大事なのかもしれません。私もこのような信条を持って、教員人生を臨みたいです。
福島県民の方は皆様ご存じなのかもしれませんが、一字違いの私としては、とても誇らしく、とても嬉しく感じました。この藩主が治めた福島の地で、自分自身も精進しながら、学生と共に学んでいけることを嬉しく思っております。
写真は、2017年8月の福島駅前通り(上)と現在(下)のものです。 -
「夢」はひとつ
2021/05/11THE BLUE HEARTSの甲本ヒロトさんがある番組で「夢」について語っていました。
「夢っていうのは手段じゃなく、目的なんじゃないか」、そして「夢はひとつにしとけ」って。
私の夢は、高校生の頃からずっと「理学療法士になりたい」でした。22歳で理学療法士になり、24年間臨床で理学療法士をしてきました。30名程の仲間とともに切磋琢磨しながら、理学療法士のあるべき姿を模索してきました。時代の流れとともに、どう柔軟に対応すべきか、質を落とさずどう理学療法士を育てるか、経営とともにどうあるべきか悩みながら、教員を目指そうと一歩足を踏み出しました。ずっと夢が叶ってはいるけれども、「教員になりたい」というもう一つの夢がありました。でも教員というのは手段であり、私は「人に寄り添える理学療法士を育てたい」という想いがこれからの夢だと思っております。
立派な理学療法士でなくていい。知識や技術も大事だが、人に寄り添えて信頼される理学療法士になってほしい。